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絵の熱量の話-(1)

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絵の熱量の話。

[エフェメラちゃん]

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近頃は国としてアニメを押す風潮も後押ししてか、美術館でも当たり前のように漫画家さんの作品展、巡回展が開催される。

自分が漫画家さんの生原稿、というものを美術展で見た時に思ったのは、「大胆」であった。

 

何が大胆かというと、修正液や写植が肉眼でははっきりとわかるのである。

でもそれでいいのである、なぜかと言えば、「最終的に印刷製本されたときに綺麗に仕上がるかどうか」が基準だからだ。

 

幼い頃、漫画雑誌を見て「漫画家さんはこんなにも綺麗に線を引いて完成されたものを何度も描くのか」と、もともといつも落書きをしているような人間ではあったが精緻な絵を描くのが得意ではない自分は、常々思っていた。

 

しかし実際実物を見てみると漫画原稿というのは、いわゆる古典絵画のようなそれ単体だけで完成された代物ではなかった。作者の下書きの線や修正の跡が残りつつの、それでいて最終的な完成形は綺麗に仕上がるようになっている漫画という製品なのだと感じた。

もちろんこれは良い意味でだ。視覚的な表現技法と仕事としての生産性を両立させているスタイルに私は感嘆した。

 

同時に、その生原稿からは熱を感じた。

 

感覚としては、月並みな話で申し訳ないが、いわゆる”名画”を見た際に覚える情動と同じものを感じたのだ。

例えばある漫画の途中のページの生原稿一枚を抜き出したとして、それをダリなどの美術絵画と共に並べたとして、同じカテゴリーの枠にあるアートとはみなされないだろう。

 

だが、その漫画原稿に書き込まれた数々の筆致と痕跡は、人間の創意工夫の道程が詰め込まれた結晶であり、作者が原稿に対峙した際の絵にかけるエネルギーが刻み込まれている事を感じさせてくれる。

 

この事実は、 他人が何かを感じる絵を描けるかどうかは、ある種の技術は前提としても、最終的にはその時その瞬間に「作者がどう絵と向き合っているか」に因るのではという思いを起こさせる。

 

絵の熱量の話(2)へつづく→

 







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