アナログサインペンスケッチ、小鬼ちゃん↓
節分、それは季節の分け目。
現在の節分は2月3日、翌日は立春となり春に向かい始める。
季節の分け目であるからして、実際には立夏、立秋、立冬の前日も"節分"であるが、今は冬の明けるこの時期のみに風習は残る。
きっと長い冬が明けたことへの祈り、そして無事に春を過ごせるようにとの願いではないだろうか。
そう思うのも、雪深い地域出身だからかもしれない。
雪国にとって、立春とカレンダー上では示されても、まだまだ雪に閉ざされた時間は長い時期だ。
トンネルの先はまだまだ白化粧の山並みが続く。
鬼、といえばいわゆるツノが生えて大きな体躯のいわゆる化け物なイメージが出来上がった現代だが、果たして元々そうであったのかといえば、定かではない。ただ五色が使われている点をみれば、少なくともあの怪物的な姿は仏教関連ではあるだろうとは推測される。
では鬼とは何か。
一説で、鬼をオニと呼ぶのはのちの話で、もとはモノという言葉に当てられた字という話がある。
(当てられた、というのは、元々日本語には音のみで対応する文字はなく、漢字という輸入品を借りて文書を残していた経緯から。いわゆる、話し言葉の音に当て字をしていた)
モノとは人の力の及ばない超常の現象を指す。
節分でいう鬼は、その季節の分け目に行う祭事から見れば、病魔を指すのではないかと思う。
今でも季節の分け目は何かと体調を崩しやすいものだ。それは医療技術の低い古代においては、風邪ひとつとっても即命取りになりかねない、しかも当時の人知では対処の難しいことだっただろう。
そんな彼らを遠ざけるために、古代の人々は穀物(豆)を用いて彼らを追い祓っていたのではないか。実は穀物もまた、古き日本の祭事にとっては欠かせないファクターだ。穀物は実り、命の象徴でもある。病魔からすれば天敵だろう。
現代では季節風邪で直ぐに命を落とす、ということは少ないが、節分行事が今だに続いている所を見ると、まだ現代にも鬼はいるのかもしれない。
案外彼らも我々の見えないところで一緒に豆をまき、豆を食べてこの行事を楽しんでいるのだろうか。
升いっぱいの豆を頬張る小鬼ちゃん↓